交通事故に遭った被害者家族の手記

娘が交通事故に遭ったのは高校1年生の秋でした。新しい高校生活がスターとしてまもなくのことです。勉強を夜遅くまで頑張り、行きたかった高校へやっと合格しました。「部活も勉強も両方頑張りたい」娘は嬉しそうに言っていました。

高校へ入ってからの目標をノートにたくさん書いていました。でも、楽しかったはずの高校生活と私たち家族の生活は苦しい日々に変わりました。

娘の通学

娘はバスで高校まで通っていました。夏休みに自転車を購入してからは、たびたび自転車で通学していました。高校まで距離があったので心配はしていましたが、それほど気にはとめていませんでした。娘は「その日」も自転車で通学しました。

いつもとかわらない朝でした。

娘からの電話

娘が家を出て、まもなく娘から電話がありました。何か忘れ物でもしたのだろうと思いながら電話にでました。次の瞬間、そうではないことがすぐにわかりました。少し苦しそうな声で「車にひかれた」と言うのです。私は驚いてすぐに言葉が出ませんでした。

その後、警察からも連絡があり詳しい状況を聞きました。家から10分ほどの交差点で横断歩道を渡っていた時に車と接触しました。娘が渡っていた横断歩道は青でした。

青色の信号で

事故現場のすぐ近くに交番がありました。通行人の方が交番に行ってくれて警察官はすぐに駆け付けてつれました。あとでわかったことですが、運転手はよそ見をしていたのです。車のスピードは時速10キロメートル程度だったようです。

車と接触した娘と自転車は横に倒れ自転車のサドルが娘の左腹部にくいこみました。

検査の結果

すぐに病院へ行き検査がはじまりました。娘は左のお腹が痛いとずっと言っていました。顔色も悪くとても苦しそうでした。結果は膵臓断裂などの内臓損傷と診断されました。「これからすぐ膵臓の半分と脾臓を摘出します」私は先生の言葉が信じられずその後の説明はうっすらとしか記憶がありません。

あたたかい手

「どうして?娘はなにも悪くないのに」「どうしてこんなことになってしまったの?」私は怒りと悲しみが一気に溢れ出し気が付くと声を出して泣いていました。娘の前で泣いたことがない私が、周りのことなど気にすることなく泣いていました。

その時、誰かが私の頭をポンポンとたたき優しく撫でてくれました。はっと我にかえった私はその手の先を見つめました。優しい手は娘の手でした。

「大丈夫だよ」

そう言いながら、娘は私の頭を撫で続けてくれました。「自分が一番痛いおもいをして苦しいはずなのに」私は急に自分のことが恥ずかしくなりました。そして、「これから一番辛い想いをするのも娘」です。支えなければいけないと思いました。

私が娘を守らなければいけないと気づきました。泣くのはここで終わり。私は娘のためにできることはなんでもしようと決めました。

手術

娘の手術がはじまったのは午後5時頃でした。私は無事に手術が終わることを祈ることしかできませんでした。「神様、どうかお願いします、お願いします」心の中で何度もなんども言いました。どれくらいの時間が経ったのか、その時はわかりませんでした。

私にとっては、すごく長い時間でした。手術は4時間かかり、娘はやっと帰ってきました。無事で帰ってきてくれて本当に安心して私はその場所に座り込んでしまいました。

入院生活

本当に辛かったのは手術が終わってからでした。麻酔が切れて目を覚ました娘が初めに言った言葉は「痛い」でした。お腹を開いて臓器を摘出した痛みは私の想像をこえるものだったと思います。自分の身になにが起こったのか手術を終えてわかったのでしょう。

娘は痛みとショックで2日間何も喋りませんでした。娘に「一人になりたい」と言われ、売店や院内で3~4時間程、時間を潰したこともあります。「娘は今どんな気持ちなのか」そんなことを考えて胸が苦しくなりました。

弟の存在

娘には弟が1人います。9歳違いの小学校3年生です。弟はお姉ちゃんのことが大好きで娘も弟の面倒をよくみてくれます。弟はお喋りが大好きで病院へ行く度に学校での出来事、好きなテレビの話やお父さんの話をずっとしていました。

聞いているのが大変なくらいによく喋りました。「お姉ちゃんを元気にしたい」そんな気持ちがあったのだと思います。弟の話を聞いている娘の顔が少しずつ笑顔になっていくのを見て私は安心しました。そんな家族の支えもあり娘は少しずつですが回復していきました。

3週間後、娘は無事に退院しました。

退院してからの生活

退院してから5日で高校へ通学しました。朝は旦那が学校まで送り、帰りは私が迎えに行きましたそれができないときはタクシーを使いました。通学のバスは混雑していてまだ傷が痛む娘を乗せることはできませんでした。学校へ行っても調子が悪くなり先生から連絡がくることは沢山ありました。

体育はもちろんいつも見学です。運動は一切できませんでした。中学生から続けていたバスケットボールも娘は辞めてしまいました。

消えない傷

娘のお腹の傷はおへそから胸に向かって約20センチあります。傷は目立たなくなると先生は言っていました。しかし、娘はもともと皮膚が弱く傷跡が残りやすい体質でした。時間が経っても傷跡は消えませんでした。切った部分は赤く腫れ上がり、ミミズばれを何本も重ねたような太い傷になっていました。

「いつになったら傷は目立たなくなるんだろう」と私は思いました。友達と海やプールに行き可愛いビキニを着ることもできないんだと思い娘の将来が心配でした。事故から1年経っても傷はかわりませんでした。先生に傷の縫い直しをすすめられました。

2度目の手術

娘が高校3年生の夏休みに傷の縫い直し手術を受けました。手術は形成外科で行います。住んでいた町に形成外科はなかったので隣の町の病院で手術をすることにしました。車で片道2時間半です。前回の入院は個室でしたが今回は6人部屋で娘と同じ高校3年生の可愛い女の子が同室でした。

お見舞いに行くといつも2人で楽しそうにお喋りしていて娘の自然な笑顔を久しぶりに見られました。

卒業式

娘が普通に高校へ通えたのはたったの6ヶ月です。楽しかったはずの高校生活は一瞬で奪われました。大好きだったバスケットボールも辞め、1年生の冬に仲間と行く予定だったアイドルのコンサートも娘だけ行けませんでした。卒業も皆とすることはできませんでした。本当に悔しかったと思います。やり場のない怒りや悲しみを抱えていても1度も家族に当たったりしませんでした。私達家族も自分と同じ被害者で同じ気持ちだと思ったのでしょう

娘の今

事故から4年の秋を迎えます。娘は1年遅れて高校を無事に卒業しました。本当に頑張ったと思います。就職も決まり建設会社の事務をしています。お腹の傷は縫い直しもしてもまだ、はっきりと跡は残っています。思ったより傷の直りが悪かったので先生は「もっと大きい病院で再手術を」と話しますが娘はもう手術は嫌だと言っています。

膵臓、脾臓を失って、この先困ることも出てくると思いますが今は元気にしています。最近は友達と出かけることが多くなってカラオケや買い物、旅行にも言っています。娘が本当に楽しそうで私は嬉しくなります。高校時代できなかったことを思う存分して楽しんでほしいです。

今思うこと

交通事故に遭った被害者とその家族の生活は事故に遭った日から大きく変わってしまう怖さを知りました。

今まで送っていた日常は取り戻せないのです。こんな悲しい思いをしないように、これ以上の苦しみを誰も経験しなくていいように、すべてのドライバーの方に安全運転をお願いしたいと心より思います。

参考元-交通事故交渉 > https://www.ko2jiko.com/flow/
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